私の妹は成人式で晴れ着を着られなかった

明日は成人式だ。

私には2歳年下の妹がいる。

 

もう30年近くも昔の話だが、妹の成人式のことは今も鮮明に覚えている。

妹は晴れ着を着られなかった。

妹はスーツで成人式に出席した。もちろん、私は会場に行ったわけではないが、きっと久しぶりに会う旧友たちは晴れ着を着ていたことだろう。

 

なぜか?

私の両親は自営業だった。

母は「娘の成人式にきれいな晴れ着を着せてあげられなかった」と泣いていた。

理由は単純。お金がなかったからだ。

 

私たち兄弟は二人とも私大に進学させてもらった。

「お金がなかった」とは語弊があるだろう。十分すぎるほど、子ども達の向学心、進学意欲を不自由なく叶えてくれた。

当時の自分は、もちろん今ほどには理解できていなかったと思うが、そんな親の無心に働く姿に感謝していた。

「親の必死の働きのおかげで、自分は大学にまで進むことができた」

自分では十分に感謝しているつもりであった。

 

ここで話は昨年のことに戻る。

亡くなった母方の祖父母の墓参りに母親と行った。

どんな話題の変遷で今の親の貯えを聞くことになったのかは、私が車を運転をしながら話していたせいか、全く思い出せない。

しかし、母親から聞いた預貯金の額は、私が思っていたよりもはるかに多く、正直なところ驚いた。

 

両親は私たち兄妹を大学に進めさせるために必死になって働いてくれているものと思っていた。

私はそう信じていた。

何の疑いもなく、信じていた。

 

しかし。それは私の浅はかな理解であったと気づかされた。

母は、両親は、自分たちの老後、働けなくなる時の生活に困らないようにと、お金を貯めていた。

私たち兄妹の学費を支払していたころの家計の管理についても、初めて語ってくれた。

そして、それは「歳を取った後にも、子ども達に迷惑をかけないように」との親心であった。

 

私は自分の親に対する感謝の心が足りていなかったことを恥じた。

「大学にまで進ませてくれてありがとう」ではなかった。感謝の深さが浅かった。

 

妹が成人式の時に、どんな心持ちであったのかは、私にはわからない。

ただ、表面的には笑顔で、何にも気にしていないようなそぶりで帰ってきたことを覚えているような気がする。

もしかしたら、私の妹は、私が50歳直前になってやっと気が付いた親心に、二十歳の時に気が付いていたのかもしれない。

 

私は今、「親から子への事業承継」として、数多くの社長の代替わりの場面に立ち会っている。

または、「本当は息子に継いでもらいたかった」とつぶやいて株式譲渡契約書に捺印する社長の背中を見つめたこともある。

「今社長を辞めたら、自分たちの生活ができないんだ」そんなホンネを打ち明けてくださる方もいらっしゃる。

 

私は親の事業は継いでいない。

けれど、子どもの将来を思う親心は、確かに受け継ぎたいと改めて思った。

 

私の妹は成人式に晴れ着を着られなかった。